ちょうどアクティブラーニングのセミナーの直後に、現代音楽フェスティバルがあり、小学校の生徒たちと地元の現代音楽グループBIT20との共同作品というのがあったので行って見ました。数日間に渡るワークショップで子供達が作り上げた20分にも渡る作品を披露するというものでしたが、即興的に作られた断片を組み合わせて一つの作品に仕上げるという手法でした。面白かったのは子供達が弾いていた「楽器」。もちろん、ドラムとかキーボード、ベース。バイオリンといった西洋音楽の楽器もたくさん登場するのですが、iPadとか、ワイングラスとかいうものも登場して始まる前から期待が高まります。作品は、全てが即興であったという訳ではなく、始まりは、ノルウェーでよく知られているフォークソング「Bringebærslåtten」(注:bringebærはラズベリーのこと)に始まり、それにオーバーラップするようにベースでの即興が入り発展して行った感じです。
10人以上の子供たちに対して、教師役(あるいはアーティスト役)の大人(BIT20のメンバー)は2人。先生らしい生徒たちとの会話があったり、そうかと思えば、子供たちと遊んでいるかのような場面があったりと、チームワークを作り上げる術にも長けていました。このBIT20は定期的に地域の小学校に出向いてワークショップを行なっているようです。
この作品を皮切りに、私の中で、現代音楽フィーバーが起こり、別のコンサートも立て続けに3本見ることにしました。この3本は「Ny kammermusikk 新しい室内楽」と称されたプログラムシリーズだったのですが、中でも印象的だったのはその2本目のカルテット(4重奏)です。カルテットと名乗ってはいるものの、それぞれの奏者は別々の部屋に入り、お互いの姿を直接見ることも聞くこともできない設定になっていますが、マイクを通して、別の奏者が何を弾いているかは聞くことができる状態です。決まっているのはタイミングだけ。どこの部屋の誰が何分ぐらい即興したら、次はどの部屋の誰が弾く、というような順番は指定されてはいるものの、他は何も決まっていないカルテットです。ちなみに、このカルテットはエレキギター、プリペアードピアノ、バスクラリネット、ハーディングフェーレ+ハープシコードで構成されています。
この作品で面白かったのはまずそのコンセプトです。オーディエンスの方もそれぞれの部屋を行ったり来たりしながら作品を楽しむことができるのですが、もちろん、マイクで繋がっているとはいえ、一つの部屋から別の部屋へ移動すると音風景は一変します。それぞれの奏者も、通り一遍のことを演奏はしないので、時に、音楽というよりも「音」とか「物音」と行った風情になります。その状況で一つの部屋から別の部屋へと移動して体験する音世界というのは、まるで実生活で体験する世界観とそっくりなのです。私たちは比較的狭い社会に実存しているものの、SNSやインターネット、テレビ、ラジオを通じて直接体験していない世界中の状況を見たり聞いたりしながら生活しています。時には一つの場所から別の場所へ移動して、別の世界を体験することもあります。そして、移動した先では、同じ音現象がまるで違って聞こえる。さっきまで近くで聞いていた音を単に遠くに聞くこともあるし、場所が変わることによってその音の表情が変わって聞こえることもある。実生活でもそういう体験はありませんか?同じ一つの現象やニュースが場所によって温度差を持って語られたり、感じられたり。1時間にもわたる即興演奏を通じて、頭の中でも目の前の音世界と自分の生きている世界とのシンクロが起こった、面白い体験でした。
http://www.borealisfestival.no/2018/shows/new-chamber-music-stephan-meidells-metrics/
現代音楽というと、難しい印象がありましたが、大人になればなるほど、この世界観は身近になるような気がします。
下は、今ベルゲン美術館で展覧会を行っている現代芸術家Chiharu Shiota氏の展覧会と、このところ寒くてすっかり凍りついた噴水広場の様子。