Folkemusikkと譜面について、最近折につけて考えさせられることが多いのですが。2年前に書き始めた記事で投稿していないものがあったのでこの機会に投稿しておきます。
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昨年の秋から、譜面から曲を学ぶという訓練をしています。私は子供の頃からピアノを弾いていましたし、譜面には随分と馴染みがある方と思っていましたが、ハーディングフェーレを始めてから、トンと、譜面から音楽を紡ぐということからご無沙汰していました。というのも、ハーディングフェーレの音楽は基本的に「耳から学ぶ」ことが文化として定着しており、どの(教育)レベルにおいてもそのことが最重視されているからです。クラシックの世界では「楽譜をみろ。楽譜に全てが書かれている!」という提言?が使われることがあるのに対してこちらの世界では「譜面にはほとんど何も書かれていない」と言われることがしばしばです。
かといって、譜面が全く無いというわけではありません。よく知られているものに、数巻に及ぶ譜面集、通称ハーディングフェーレヴァルケHardingfeleverketというものがあります。これは1930年代から80年代にかけて編集され出版された譜面全集一大プロジェクトで、この中にはこの年代よりも以前から収集された採譜(演奏から書き起こされた譜面)、またこのプロジェクトのために書き留められたものなどがありますが、何れにしてもハーディングフェーレでは、基本的に音より先に譜面が生まれることはなく、音がまずあって、譜面はその後に書かれるものという位置づけになります。これ以外にも、19世紀後半から多くの音楽学者やプレーヤーによって民謡収集があちこちで行われ、出版されたもの、個人の所有のもの、アーカイブの所有と幅広く存在しています。一番古いハーディングフェーレの譜面集は1860年代に出版されたと言われていますが、一番古い録音は、というと1910年ごろと随分時代は下ります。録音技術がエジソンによって発明される1878年以前は、音を記録するということがいかに困難だったことでしょう!では、一番古い楽譜集を当たれば、最も「コア」な情報にアクセスできるのでは?と当然考えますが、古い楽譜の記載の質が録音をも勝るものだったかどうか、想像に難くありません。かくして「譜面にはほとんど何も書かれていない」となってしまうわけです。(注1この格言にはもう一つの重要な意味がありますが、それは項を改めます。注2古い譜面を使うにはその譜面の性質の分析をまず行う必要があります)
さて、そんな譜面ですが、譜面を使うことから得られる情報や喜びは意外にも多いということを最近痛感しています。音楽を耳で聞くだけでなく、目でも見ることによって、聞き逃してしまっていた表現を再確認することができ、詳細に曲を理解したり、分析するのにある意味適していると言えます。また、それ以上に価値が認められている理由の一つとしてよくあげられるのが、あまり知られていない曲やバージョンの素材としての重要性です。
ハーディングフェーレヴァルケには、有名なプレーヤーによるよく知られた曲のよく知られたバージョンも収録されてはいますが、同じ曲のあまり知られていないバージョンが収録されていることも多く、Folk Music のプレーヤーにとっては宝の山でもあるのです。
先日、テレマルク出身の私の師匠の一人でもある演奏家、Anne Hyttaが自分の出身地近くの殆ど現在では弾かれていないレパートリーをハーディングフェーレヴァルケから取りあげ、音の素材として国営放送NRKに10曲以上の録音を残し、その録音について、NRKでインタビューが行われました。
そのインタビューの中で彼女は、自分は若い頃は楽譜から曲を学ぶということは全くしなかったし、楽譜を使い始めるまでにかなりの準備期間を要したと語ります。いわゆる「テレマルクの伝統」は美しい装飾に彩られたきらびやかな音楽であることが知られていますが、もっとシンプルなスタイルが、ハーディングフェーレヴァルケを注意深く勉強すると見つかるということに気づいたのは、彼女の師匠の一人であるHåkon Høgemoの指摘でもあったそうです。彼女は大学時代からそういった「もう一つのテレマルク」を探してハーディングフェーレヴァルケを見るようになった、と言います。そういったあまり知られていない小さな曲たちについて「装飾に彩られた典型的なTelespelの表層の下にあるもう一つの価値」という言葉で表現しています。シンプルなスタイルの中にも音楽的な価値を見出しているのです。
レッスンの中で、彼女のそういったスタンスはよく語られました。有名な曲は勉強する価値はあるが、あまり知られていない曲も大切にすること。音楽的な価値としてだけでなく、Anne はそうしてある意味「再発見」した曲を地元の若い世代の演奏家たちがまた弾き始めるように、ワークショップをしたり、コンサートで弾いたりして地域の文化を次世代に伝えることにも貢献しています。
彼女は譜面から曲を音に起こしたにも関わらず、録音スタジオには一切譜面を持ち込まなかったことからさらに質問が続きます。論点は「果たして、音楽をする上で譜面は妨げにはならないのか?」。ハーディングフェーレの音楽はとてもフレキシブルなもので、曲の構造、細部のバリエーションを試しながら曲の可能性を「探索」することも曲を消化する上で重要なプロセスです。私が知る限り、彼女はそういった細部の工夫や曲の再構成に置いて非常にクリエイティブな演奏家ですが、楽譜を使うことはある意味そういう意味での音楽をやる上で足枷にもなり得るし、それを避けることもできると答えました。彼女のメソッドは、だいたい一通り曲が弾けるようになったなと思ったら思い切って全部譜面を外してしまい、出来るだけ早く音楽を自分らしく消化するようにする、というものです。
譜面はこのように、うまく使うと大変に価値のあるものになります。ところが、使い方を誤るととても厄介なのです。
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