Jotunheim-springar

Jotunheim-springer ヨートゥンハイメンのスプリンガルは、有名な「ヨートゥンハイメンの夏の夜 Sumarkveld i Jotunheimen」のテレマルク地方のヴァリアントのひとつです。2人のプレーヤーによってヴァルドレス地方で作曲されたこの曲が各地に伝わり、ヴォスでは大変結構なリスニングチューンに発展しましたが、テレマルクでは非常に簡素なスタイルで残っています。あまり演奏されることのない曲ですが、テレマルクの同じ調弦法の曲にはない調性感と美しい旋律が魅力です。

先週末、滋賀県の琵琶湖の近くにあるとても素敵なレコーディングスタジオにお世話になり、レコーディングをしました。大阪に帰ってきて、というよりヴォスやラウランドを離れてから自然いっぱいの景色からご無沙汰でしたが、なんと、そこはVossの景色にそっくりではありませんか?!楽器の話、ノルウェーの話など色々聞いていただき、録音も自分の音とは思えないクオリティーで録っていただきましたので一部ここにシェアします。

さて、今週末はスタジオ、Time Blueさんでのソロライブです。今回も調弦法を駆使して色んなハーディングフェーレの音色を聴いて頂こうと思っています。ご都合よろしければ是非お越し下さい。

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楽譜とFolkemusikk vol.2 「楽譜には何も書かれていない」のか?

さて、vol.1で「楽譜にはほとんど何も書かれていない」と称されることについて書きましたが、では何故そう言われるのでしょうか?

そもそもハーディングフェーレの音楽は口承伝統です。古い演奏家たちは楽譜を介すること無く曲を伝えてきました。当然、伝え間違いがあり、現在に残されている豊かなバリエーションやヴァリアントは、その結果だとも言われるほどです。とある音楽家は、「ハーディングフェーレの曲はもともと3曲くらいしかなかった」とすら言います。間違いもあれば、忘れ去られることも多かったことでしょう。

民謡収集の始まったのは19世紀半ばごろのことです。当時のハーディングフェーレの奏者たちの大半は楽譜は読みませんでした。民謡収集に乗り出した人の多くは都会に住む音楽家たちです。初期になされた楽譜集は当然、ハーディングフェーレの語法を知る人がしたものではありませんでした。最初期の楽譜集として知られる、L.M.リンデマンの「新旧ノルウェーの山の旋律」には歌に加えて恐らく器楽曲も収集されただろうと指摘されますが、インフォーマントに関する情報が残っておらず、誰がどんな風に弾いていたのかはおぼろげにしかわかりません。ハーディングフェーレの曲が最初に楽譜になったのは1860年頃と言われていますが、ハーディングフェーレの語法を知る音楽家による採譜は20世紀になるまでなされませんでした。音楽学者が収集旅行に出かけるようになった20世紀初頭ですら、情報提供者たちはある種不審の眼差しを学者たちに向けていたことでしょう。「最近、街から〇✖️△が来て、曲を弾いてくれって頼まれたさ。だけどよー、しめしめ、一番大事な曲は弾いてやらなかったぜ。」収集家たちも初期の頃は音楽語法の理解に誤差があり、必ずしも正しく記譜ができていないことも、奏者たちの不満に繋がります。

ハーディングフェーレの楽譜を使えるようになるには、まず音楽語法を知らなければならないと言われます。ハーディングフェーレの音楽には、地域によってアシンメトリーの3拍子を用いますが、現在でもこのリズムは楽譜には記載されません。奏者たちはどの地方の曲なのかという情報を元に、正しいリズムを使って演奏します。また、多くの場合奏者はバリエーション(細部の装飾や節回し、構造的バリエーション)を用いて曲を演奏していきますが、楽譜には1つの例しか示されていないことが殆どです。加えて、ハーディングフェーレの楽譜は5線譜に似てはいますが、音高の表記について特別な決まりがあり、そのルールを知らなければ読むことができません。ハーディングフェーレの楽譜は完全では無く、それを必死で追いかけても正しくはならないことも多いのです。

時代が下って、広く譜面を読む習慣が一般に広まっている現代に置いても、民族音楽家たちは普段、楽譜を使うということは殆どしません。古くから楽譜を介すること無くやり取りをしてきた文化があまりにも強いのです。私自身、ハーディングフェーレの曲を楽譜で見始めた頃は、とんでもない違和感に襲われたことをよく覚えています。楽譜はFolkemusikkをする上である意味「異文化」であり、そこに音楽を感じることができない人が大勢いるのも事実のようです。Vol.1のAnne HyttaのLeiv Solbergによるインタビューは実は「この(今回あなたが曲を見つけてきた)ハーディングフェーレヴァルケって、現在の若者にはすこぶる人気がなくて殆ど誰も使っていないんですよね」で始まります。民族音楽の教育機関では、ハーディングフェーレヴァルケなどの楽譜資料を積極的に学生に使うように指導をしますが、一般的に楽譜から曲を学ぶことはある程度の経験を積んだ上級者がすることと考えられています。

 

楽譜とFolkemusikk vol.1「装飾に彩られた典型的なTelespelの表層の下にあるもう一つの価値」

Folkemusikkと譜面について、最近折につけて考えさせられることが多いのですが。2年前に書き始めた記事で投稿していないものがあったのでこの機会に投稿しておきます。

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昨年の秋から、譜面から曲を学ぶという訓練をしています。私は子供の頃からピアノを弾いていましたし、譜面には随分と馴染みがある方と思っていましたが、ハーディングフェーレを始めてから、トンと、譜面から音楽を紡ぐということからご無沙汰していました。というのも、ハーディングフェーレの音楽は基本的に「耳から学ぶ」ことが文化として定着しており、どの(教育)レベルにおいてもそのことが最重視されているからです。クラシックの世界では「楽譜をみろ。楽譜に全てが書かれている!」という提言?が使われることがあるのに対してこちらの世界では「譜面にはほとんど何も書かれていない」と言われることがしばしばです。

かといって、譜面が全く無いというわけではありません。よく知られているものに、数巻に及ぶ譜面集、通称ハーディングフェーレヴァルケHardingfeleverketというものがあります。これは1930年代から80年代にかけて編集され出版された譜面全集一大プロジェクトで、この中にはこの年代よりも以前から収集された採譜(演奏から書き起こされた譜面)、またこのプロジェクトのために書き留められたものなどがありますが、何れにしてもハーディングフェーレでは、基本的に音より先に譜面が生まれることはなく、音がまずあって、譜面はその後に書かれるものという位置づけになります。これ以外にも、19世紀後半から多くの音楽学者やプレーヤーによって民謡収集があちこちで行われ、出版されたもの、個人の所有のもの、アーカイブの所有と幅広く存在しています。一番古いハーディングフェーレの譜面集は1860年代に出版されたと言われていますが、一番古い録音は、というと1910年ごろと随分時代は下ります。録音技術がエジソンによって発明される1878年以前は、音を記録するということがいかに困難だったことでしょう!では、一番古い楽譜集を当たれば、最も「コア」な情報にアクセスできるのでは?と当然考えますが、古い楽譜の記載の質が録音をも勝るものだったかどうか、想像に難くありません。かくして「譜面にはほとんど何も書かれていない」となってしまうわけです。(注1この格言にはもう一つの重要な意味がありますが、それは項を改めます。注2古い譜面を使うにはその譜面の性質の分析をまず行う必要があります)

さて、そんな譜面ですが、譜面を使うことから得られる情報や喜びは意外にも多いということを最近痛感しています。音楽を耳で聞くだけでなく、目でも見ることによって、聞き逃してしまっていた表現を再確認することができ、詳細に曲を理解したり、分析するのにある意味適していると言えます。また、それ以上に価値が認められている理由の一つとしてよくあげられるのが、あまり知られていない曲やバージョンの素材としての重要性です。

ハーディングフェーレヴァルケには、有名なプレーヤーによるよく知られた曲のよく知られたバージョンも収録されてはいますが、同じ曲のあまり知られていないバージョンが収録されていることも多く、Folk Music のプレーヤーにとっては宝の山でもあるのです。

先日、テレマルク出身の私の師匠の一人でもある演奏家、Anne Hyttaが自分の出身地近くの殆ど現在では弾かれていないレパートリーをハーディングフェーレヴァルケから取りあげ、音の素材として国営放送NRKに10曲以上の録音を残し、その録音について、NRKでインタビューが行われました。

そのインタビューの中で彼女は、自分は若い頃は楽譜から曲を学ぶということは全くしなかったし、楽譜を使い始めるまでにかなりの準備期間を要したと語ります。いわゆる「テレマルクの伝統」は美しい装飾に彩られたきらびやかな音楽であることが知られていますが、もっとシンプルなスタイルが、ハーディングフェーレヴァルケを注意深く勉強すると見つかるということに気づいたのは、彼女の師匠の一人であるHåkon Høgemoの指摘でもあったそうです。彼女は大学時代からそういった「もう一つのテレマルク」を探してハーディングフェーレヴァルケを見るようになった、と言います。そういったあまり知られていない小さな曲たちについて「装飾に彩られた典型的なTelespelの表層の下にあるもう一つの価値」という言葉で表現しています。シンプルなスタイルの中にも音楽的な価値を見出しているのです。

レッスンの中で、彼女のそういったスタンスはよく語られました。有名な曲は勉強する価値はあるが、あまり知られていない曲も大切にすること。音楽的な価値としてだけでなく、Anne はそうしてある意味「再発見」した曲を地元の若い世代の演奏家たちがまた弾き始めるように、ワークショップをしたり、コンサートで弾いたりして地域の文化を次世代に伝えることにも貢献しています。

彼女は譜面から曲を音に起こしたにも関わらず、録音スタジオには一切譜面を持ち込まなかったことからさらに質問が続きます。論点は「果たして、音楽をする上で譜面は妨げにはならないのか?」。ハーディングフェーレの音楽はとてもフレキシブルなもので、曲の構造、細部のバリエーションを試しながら曲の可能性を「探索」することも曲を消化する上で重要なプロセスです。私が知る限り、彼女はそういった細部の工夫や曲の再構成に置いて非常にクリエイティブな演奏家ですが、楽譜を使うことはある意味そういう意味での音楽をやる上で足枷にもなり得るし、それを避けることもできると答えました。彼女のメソッドは、だいたい一通り曲が弾けるようになったなと思ったら思い切って全部譜面を外してしまい、出来るだけ早く音楽を自分らしく消化するようにする、というものです。

譜面はこのように、うまく使うと大変に価値のあるものになります。ところが、使い方を誤るととても厄介なのです。

 

3月2日 ソロコンサートのお知らせ

みなさまお久し振りです。

3月2日(土)14:00〜、大阪天神橋筋6丁目のStudio Time Blueにてハーディングフェーレミニコンサートを予定しています。ハーディングフェーレのソロ曲を集めた1時間程度のコンサートです。終演後は楽器を持っている方、希望者がいらっしゃればワークショップ、セッションも予定しています。是非ふるってご参加ください。

日時:3月2日(土)13:30開場 14:00開演

場所:Gallery & Studio Time Blue 大阪市北区天神橋6丁目2-3-6

料金:大人前売 ¥2,300 当日¥2,800 子供(12-18才)一律 ¥1,000

*ワークショップご希望の方は追加¥700です

お問い合わせはinquiryページ、もしくはskfiddle365@gmail.comまで。

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