トロールハウゲンの事を先に書きましたが、実は先週はオスロにも行ってきました。私はずっとお世話になっている先生がオスロにいるのですが、ランズカップレイクの演奏についてのコメントと少しレッスンもして頂きました。忙しい方で、オスロでレッスンをしてもらえるのは数年振り。すっかり嬉しくなってしまいました!今回のランズカップレイクは半年間ノルウェーにいなかったこともあり不安もありましたが、そのその割にはいつもほどガッチリ準備しなかったことが功を奏して自由に弾けたこと、楽器の響が良くなったことなど話しながら、ここ数年に新しく勉強した曲を弾き、さらに新しい曲を教わりました。楽譜を使って曲を勉強することについても自分の経験も含めて話しましたが、やはり難しいねということで一致しました。耳で聴いて覚えることに慣れている人にとっては楽譜から音楽を「聴く」ことが難しく、時間がかかってしまうことに加え、楽譜から学んだ曲はそれを暗記するのが難しく、余計に時間がかかる印象も持っています。そういえば、以前に音楽家と脳のことを書いた本(ひょっとしたら複数のものが混ざった情報かもしれませんが)を読んだのですが、クラシックの卓越した演奏家は楽譜から音を非常にリアルにイメージできるとか。また、そういう技術も楽器を弾かずとも練習できる為の技だと読んだことがあります。私のやっている音楽ジャンルでは楽譜を使う訓練は殆どありませんので、楽譜から音楽を紡ぎ出すことに困難を感じる人が多いのはそのせいもあるかと思います。その代わり、耳で聴いて覚える能力は卓越していると驚かされることは多いです。特に子供の頃から耳で聴いて覚える形で音楽を習得してきた子達は3-4回くらい聴いたら曲が弾けるようになってしまいます。口承伝統の強い音楽ジャンルなので、やはり耳で聴いて曲を習うという文化に則ったレッスンが良いと思いました。ともあれ、私は今週の別のカップレイクにも出るように奨められ、オスロから帰ってきた今必死で準備をしています(汗)
さて、レッスンのあとは久しぶりのオスロ観光。
西ノルウェーの海沿いの街ベルゲンは夏も気温が上がらないのですが、東に位置するオスロは内陸性の気候で夏はカラッと爽やかで気温も上がります。全人口の80%はオスロに住んでいると言われるほど人口は密集していて、夏のこの時期は観光客も多く賑わっています。
短いオスロ滞在の1日目は雨風晴れの入り乱れた天候でしたが、2日目は快晴に恵まれ久々にビュグドイ地区Bygdøyで博物館を3つハシゴしました。この地区は博物館が密集していて、どれもとても見応えのあるものばかりです。中でもバイキング船博物館はお気に入りで、シンプルながら美しいバイキング船を惚れ惚れと眺めるばかりですが、以前に行ったので今回はパスしました。
一つ目に行ったのはノルウェー民俗博物館Norsk Folkemuseumです。私は大学でノルウェー伝統文化を専攻しましたので見慣れたものも多いのですが、案外、音楽以外は解説など見たことがなくあまり知らなかったりしますのでこういう機会にインプット。ミュージアムはいつも知的好奇心を刺激する大好きな場所です。今回は45分の英語のガイドツアーにも参加しました(無料)。
衣装を着たガイドが3つの建物を案内してくれます。まずは17世紀の別々の地域に残っていた建物を2棟回りました。1つ目はセーテスダールSetesdal地方の建物でオーレストゥーアÅrestuaと呼ばれているものです。(写真上段)床は土のまま、窓もなく、中央に調理スペースがあり、その真上に通気孔として開かれた屋根があるという構造です。あまり広くないベッド (クヴィーレKvile) は恐らく2人以上が使用していたとか。当時は全員が室内で眠るということはなく、通常は家畜小屋や外で眠っていたようです。寒かっただろうなと思います。こういった生活スタイルが、周辺地域から険しい渓谷によって閉ざされた農村部では長く続いたようです。また、写真上段の右に、調理スペースの上に取り付けられた棒(Gjøyaイェイヤ)が見えます。これは馬を模っていて、この地方の結婚式の儀式ではこの棒にナイフを投げつけて上手く突き刺さったら縁起が良いと信じられていたとか。
一方で2軒目の建物はヌーメダールNumedal地方の同じく17世紀から残る建物です。1軒目とは一転して、外部の街との交流が盛んで、17世紀には銀山が発見された (コングスバルグ銀山 Kongsberg) ことでも知られる豊かな土地に建っていたものです。この建物は特にお金持ちの家だったようです。床には板が貼られ、暖炉や煙突もあり、窓ガラスまで入れられています。窓ガラスは当時大変高価で、関税も高かった為、滅多に入れることができなかったそうです。場所は違いますが、テレマルクのシーエンSkienの街でもベルゲンBergenでも、19世紀くらいの建物で、建物のデザイン上窓が欲しいところは、壁にペンキで窓の絵を描いただけで実際の窓の数を抑え、経費を節約したという建物がいくつもあります。また、そういえば「鏡」もガラスですからこれまた19世紀くらいのお金持ちの建物には室内にたくさんの鏡を配して富の象徴としていた例もいくつも見たことがあります。脱線しましたが、もう一つのお金持ちの持ち物として「アイロン」がありました。但し、木製ですが。織物類にアイロンをかけるのが婦女子の嗜みで、お祝い事に織物を頂くと、いかに綺麗にアイロンをかけられるかを競っていたとかいないとか。
そしてこのツアーのハイライト、スターブ教会です。これは、ゴールGolに元々12世紀から建てられていたものを移設したものですがおよそ3分の1ほどのみがオリジナルで、それ以外は1880年代に移設された際に(特にBorgundのスターブ教会を手本にして)手が加わっているとのことです。多くのスターブ教会がそうなのですが、そもそもこれらの教会が建てられた時のノルウェーはカトリックでした。1537年にプロテスタントのルター派へと改宗され、それに伴ってインテリアが変わっています。一番の変化は教会内のベンチなのですが、カトリック時代にはなかったベンチが時代が変わってどの教会でも設置されました。そして、この教会は展示するに当たって、オリジナルの状態に戻す為、ベンチがまた取り払われています。壁絵もまた何度も上から描き直されることの多い部分です。所々、古い時代のよりシンプルな図柄が見えているところがあり、面白かったです。
スターブ教会というのはその構造を指しているのですが、スターブ(柱)を基盤として建てられている(ログハウスのような構造とは違って縦に材木を配している)ということです。また屋根の構造は古い造船の技術が活かされています。材木はパイル(松)です。あのビートルズもNorwegian Woodで歌ったように(?)ノルウェーの建物と船といえば中世から松材なのです。
敷地内では毎時30分から15分程度の音楽とダンスのデモンストレーションもあります。面白いのでオススメです。
そして、いつか行きたいと思っていたコンチキ号博物館にやっと行ってきました。
トール・ヘイエルダールのポリネシア文化は南米大陸に起源を持つに違いないという人類学的学説を証明する為に自ら筏で太平洋を渡ったコンチキ号の冒険は有名ですが、今回博物館に行くまでこんなに何度も冒険に出ていたとは知りませんでした。パピルスで造られたラーII号でモロッコからバルバドスへ航海へ出た際には日本人のカメラマンが同行していたそうです。
(参考:トール・ヘイエルダールwikipedia)
そして最後は極地探検船、フラム号博物館です。この博物館には北極、南極探検に造船されたフラムFram号、とヨーアGjøa号。フラムというのはノルウェー語で「前進する」(英語のForward)という意味で、格好良い名前を付けたもんだなぁと思います。当時、未踏の地であった北極、南極探検では3年や4年もの月日を費やし動植物の採集をしたり、北極付近ではイヌイットと交流し越冬の知恵を学んだりという記録が所狭しと展示されています。極地探検のリーダーになった3名(フリチョフ・ナンセン、オットー・スヴェードルップ、ロアル・アムンゼン)の人生にもクローズアップしています。
コンチキ号博物館、フラム博物館共に、未知の世界に乗り出したノルウェー人たちの意思の強さと成し遂げる気迫に感動し、やっと訪れた夏日を謳歌したオスロ滞在でした。