ベルゲンへ旅行する人へ vol.1

私は、西ノルウェーのベルゲンという街に3年程住んでいました。それで今年もベルゲンに来ている訳ですが、あまり街のことについて書いていないので、少しベルゲンの見所について書いてみたいと思います。

まず、1979年より世界遺産にも指定されているブリッゲンBryggen地区について見ていきます。

ブリッゲンとフロイエン山

ブリッゲンというのは「埠頭」という意味で、実はノルウェーの色んな場所に「ブリッゲン」と名付けられた地区が見受けられます。その名の通り、古くから船着場として利用されていた場所で、荷下ろしをする為に建てられていた木造の小屋が今にも残る建物群の始まりとなっています。こういった小屋は1150年頃にはすでに建てられていたと考えられていて、主に北ノルウェーから運ばれてくる干し鱈を下ろしていました。当時、既に干し鱈の交易が始まっていて、元々はイングランドへと運ばれ売られていった干し鱈ですが、交易の仲介をしていたのがドイツ人商人でした。ノルウェーは寒い気候の為穀物類が不足しがちで、魚を輸出し穀物を輸入する交易が12世紀から始まっていたのです。

現在では「ハンザ同盟の海外拠点」として知られるベルゲンのブリッゲン地区ですが、ハンザ商人たちが貿易事務所を構えるようになったのは1360年以降の事です。それから1754年に至るまでこの地区はドイツ人商人の貿易事務所兼居住区として使われていました。

アンチークってなんだ
アンチークってなんだ

ブリッゲンを見るとき、見所としては①建物と地区の構造 ②ハンザ商人の暮らしぶりやハンザ同盟時代のベルゲン ③地区の歴史的変遷、など面白い観点がいくつもあるのですが、この建物群を挟むように2つの博物館:ハンザ博物館とブリッゲン博物館があり、②と③の観点は網羅しています。(注:ハンザ博物館は建物修復の為、今年から6年間閉鎖となっています。代わりに有料のガイドツアー(日本語はナシ)があり、実際に地区を回りながら見せてくれるようになっています)因みにハンザ博物館の展示内容は1700年代のハンザ商人の暮らし、ブリッゲン博物館の展示内容は1300年代のブリッゲン地区です。

というわけで、①建物と地区の構造をここでは見ていこうと思います。

その前に、面白いトリビアとして、ブリッゲン地区の海岸線はそもそも今よりも140mも内側にあったというのを忘れてはいけません。つまり、今建っている建物は埋立地になっているのです。そのせいで、建物は地盤沈下を起こし、傾いてきたりしている部分もあります。この為に、地区のあちこちで常に修復作業が行われているのです。勿論世界遺産ですから、あくまでも伝統的な工法を用い、材料も年代の合うものを使っているそうです。

ブリッゲン地区を俯瞰してみると、いくつもの長い建物が連なっているのがわかります。この長い建物郡が特徴の一つで、1棟にはいくつもの貿易事務所が軒を連ねていたそうです。この建物群は倉庫として、貿易事務所として、また従業員の居住区として機能していました。大抵、重い干し鱈などは1階の倉庫へ入れられ、2階・3階部分は事務所と住居として使用されていたのです。一つの棟はゴートと呼ばれ、それぞれ名前が付けられていました。

建物をクローズアップして見た模型です。それぞれの棟には滑車がいくつも取り付けられていて、重い荷物は滑車を使って2・3階へと運ばれました。

ブリッゲン地区は、木造の建物が密集している為、よく火事が起こるという理由で、住居部分を含む棟では火の使用が禁止されていました。食事・暖房・灯など火が必要な場面は多かったにも関わらず。温かい食事を作る場所は別棟で建てられ、集会場を兼ねた建物は「シェートステューエネ」として現在も公開されています。

ブリッゲン地区内は、古い建物を利用したカフェや土産物屋がいっぱい。是非楽しみながら散策して欲しい場所です。

最後に、1350年頃のベルゲンの街の様子を歴史的資料を元にCGで再現した映像をアップしておきます。歴史を知るってなんてロマンなんでしょう!

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